2007年 01月 20日
いつか海のそば。 |
私は海が好きだけれど、ただ見るだけのことだ。
ちょっとばかり潜ってみたこともあったけれど、到底肌には合わなかったし、もう何年も水着を着ていない。なんてったって、私は泳げない。
だけれど私はやはり海が好きで、「海を見に行く」という目的のためだけに遠方はるばるここへやってくる。登山家は「そこに山があるから」と言うけれど、純粋さでいうなら私の海への想いはそれと同じことのようにも思う。
一番好きなポイントは、岩場に腰掛けて見る海。もしくは全貌を見渡せる堤防から見る海。水が怖いせいか、波打ち際ぎりぎりまで近づくことは実はあまりない。本当はやわらかな海水の感触を確かめてみたいのに、いつかその波が私を捉えて飲み込んでしまうんじゃないかと思うとなかなか近づくことはできない。
恐る恐る海水に足を踏み入れてみる。
寄せる波が素足に気持ちがいい。けれどその瞬間、すーっと引いていく波に吸い込まれそうになって、足の裏の細かな砂がとけて崩れ始める。私は怖くなって、慌てて安全な乾いた砂浜に逃げ走る。
不確かな現実世界に、私は生きているんだな、と実感する。
さて。私は、3月7日の啓蟄を待たずして、虫たちよりもちょっと早めに冬眠から目覚めました。
人間社会には冬眠はないようなので、周りからは、ようやく起きたか!と言われそうですが、起きました、大丈夫です。
首を回して指をぽきぽき鳴らして、簡単なウォームアップ。久々の通勤ラッシュ、車窓から毎朝見える富士山におはようの挨拶。PCメールチェック、仲間との他愛のない会話、金曜の酔っ払い。これが私の愛すべき日常。不確かな現実世界。
私のささやかな救いは、
そこに海があるということだ。
ちょっとばかり潜ってみたこともあったけれど、到底肌には合わなかったし、もう何年も水着を着ていない。なんてったって、私は泳げない。
だけれど私はやはり海が好きで、「海を見に行く」という目的のためだけに遠方はるばるここへやってくる。登山家は「そこに山があるから」と言うけれど、純粋さでいうなら私の海への想いはそれと同じことのようにも思う。
一番好きなポイントは、岩場に腰掛けて見る海。もしくは全貌を見渡せる堤防から見る海。水が怖いせいか、波打ち際ぎりぎりまで近づくことは実はあまりない。本当はやわらかな海水の感触を確かめてみたいのに、いつかその波が私を捉えて飲み込んでしまうんじゃないかと思うとなかなか近づくことはできない。
恐る恐る海水に足を踏み入れてみる。
寄せる波が素足に気持ちがいい。けれどその瞬間、すーっと引いていく波に吸い込まれそうになって、足の裏の細かな砂がとけて崩れ始める。私は怖くなって、慌てて安全な乾いた砂浜に逃げ走る。
不確かな現実世界に、私は生きているんだな、と実感する。
さて。私は、3月7日の啓蟄を待たずして、虫たちよりもちょっと早めに冬眠から目覚めました。
人間社会には冬眠はないようなので、周りからは、ようやく起きたか!と言われそうですが、起きました、大丈夫です。
首を回して指をぽきぽき鳴らして、簡単なウォームアップ。久々の通勤ラッシュ、車窓から毎朝見える富士山におはようの挨拶。PCメールチェック、仲間との他愛のない会話、金曜の酔っ払い。これが私の愛すべき日常。不確かな現実世界。
私のささやかな救いは、
そこに海があるということだ。
by natsu-daisuki
| 2007-01-20 02:39