2011年 08月 18日
◆東北 杜の都・仙台の旅◆ 石橋屋の仙台駄菓子 |
創業明治18年、超老舗の仙台駄菓子屋、石橋屋。
飴屋として本荒町で商いを初め、昭和26年、2代目石橋幸作氏のとき、河原町に今の店を構えました。この風格ある建物は仙台市の都市景観賞や景観重要建造物指定建物にもなっています。
太白飴やマコロンなどで知られる『仙台駄菓子』には、実はあまり知られていない物語があるようです。
江戸時代、貧しい庶民は米を徴収された後の残りものの雑穀や木の実を食べて暮らしていました。人間はいつだって前向き、とでも言いましょうか、この雑穀や木の実をどうにかして飽きずに食べやすいものにしたい、人々はたたいてみたり、擂ってみたり、焼いてみたりと様々な方法で工夫を凝らし、出来上がったのが今で言うところの、駄菓子。もちろん砂糖なんて入っていません。
遡ること平安時代、そもそも菓子は「くだもの」と呼ばれ、木の実を意味していました。その後、人の手が加えられた菓子の出現により、菓子と果物が区別されるようになったそうです。
そして駄菓子の『駄』には悲しい物語が。。。
善良な東北人が雑穀と木の実でできたその菓子を、東北から江戸へ持って出、早速イキな江戸っ子たちにニコニコとすすめてみると、
「ぺっ、なんでいこりゃ、こんなもん、菓子でもなんでもねぇぜ!」
と言いながら、江戸っ子たちは地面に落ちた菓子を下駄で踏みつけたというのです。
それから上菓子の対照としてダメな菓子は、駄菓子と呼ばれるようになったそうです。
庶民の暮らしのそばにはいつだって駄菓子があります。
しかし、仙台駄菓子が、よっちゃんいかやアンズ飴、ソース煎餅、梅ジャムといった10円20円で買えるいわゆる下町駄菓子に成り下がらなかったのは、ここ石橋屋2代目石橋幸作氏の功績の賜物。
時代はオートメ化が進まん高度成長期、このままでは本来の駄菓子が消えてなくなってしまう、伝統は『駄』に落ちぶれてしまうと、幸作氏は、昔ながらの純粋な駄菓子を日本全国を探し回り、地方に根付いた駄菓子を発掘して記録に残していきました。そして由緒ある仙台駄菓子を大いに宣伝、『仙台駄菓子』は日本中に知れ渡ったのです。
当時のスケッチや人形は店舗裏の小部屋に保管されていて、希望すれば中を見せてくださいます。
菓子売りの少しおどけた表情や、鮮やかな色使いは見ていて心が和みます。幸作氏の「伝えたい」という気持ちがどの作品からも湧き出ていて、どんな高価な人形あるいは名画より、ぐっと惹かれるものがありました。
今となっては、昔に比べ素材は良くなり、砂糖も加えられるようになった仙台駄菓子。
ひとつひとつ丁寧に手作りされる小さな菓子は、素朴で温かい。
キメの細かいマコロンは最高においしくて、職人技がきらりと光る逸品です。
仙台を訪れたなら、是非、石橋屋さんへ。
飴屋として本荒町で商いを初め、昭和26年、2代目石橋幸作氏のとき、河原町に今の店を構えました。この風格ある建物は仙台市の都市景観賞や景観重要建造物指定建物にもなっています。
太白飴やマコロンなどで知られる『仙台駄菓子』には、実はあまり知られていない物語があるようです。
江戸時代、貧しい庶民は米を徴収された後の残りものの雑穀や木の実を食べて暮らしていました。人間はいつだって前向き、とでも言いましょうか、この雑穀や木の実をどうにかして飽きずに食べやすいものにしたい、人々はたたいてみたり、擂ってみたり、焼いてみたりと様々な方法で工夫を凝らし、出来上がったのが今で言うところの、駄菓子。もちろん砂糖なんて入っていません。
遡ること平安時代、そもそも菓子は「くだもの」と呼ばれ、木の実を意味していました。その後、人の手が加えられた菓子の出現により、菓子と果物が区別されるようになったそうです。
そして駄菓子の『駄』には悲しい物語が。。。
善良な東北人が雑穀と木の実でできたその菓子を、東北から江戸へ持って出、早速イキな江戸っ子たちにニコニコとすすめてみると、
「ぺっ、なんでいこりゃ、こんなもん、菓子でもなんでもねぇぜ!」
と言いながら、江戸っ子たちは地面に落ちた菓子を下駄で踏みつけたというのです。
それから上菓子の対照としてダメな菓子は、駄菓子と呼ばれるようになったそうです。
庶民の暮らしのそばにはいつだって駄菓子があります。
しかし、仙台駄菓子が、よっちゃんいかやアンズ飴、ソース煎餅、梅ジャムといった10円20円で買えるいわゆる下町駄菓子に成り下がらなかったのは、ここ石橋屋2代目石橋幸作氏の功績の賜物。
時代はオートメ化が進まん高度成長期、このままでは本来の駄菓子が消えてなくなってしまう、伝統は『駄』に落ちぶれてしまうと、幸作氏は、昔ながらの純粋な駄菓子を日本全国を探し回り、地方に根付いた駄菓子を発掘して記録に残していきました。そして由緒ある仙台駄菓子を大いに宣伝、『仙台駄菓子』は日本中に知れ渡ったのです。
当時のスケッチや人形は店舗裏の小部屋に保管されていて、希望すれば中を見せてくださいます。
菓子売りの少しおどけた表情や、鮮やかな色使いは見ていて心が和みます。幸作氏の「伝えたい」という気持ちがどの作品からも湧き出ていて、どんな高価な人形あるいは名画より、ぐっと惹かれるものがありました。
今となっては、昔に比べ素材は良くなり、砂糖も加えられるようになった仙台駄菓子。
ひとつひとつ丁寧に手作りされる小さな菓子は、素朴で温かい。
キメの細かいマコロンは最高においしくて、職人技がきらりと光る逸品です。
仙台を訪れたなら、是非、石橋屋さんへ。
by natsu-daisuki
| 2011-08-18 00:00
| ▪️宮城