2010年 03月 27日
【リアル・放浪記、林芙美子になりきって】 北信の旅 / 蔵の街、須坂 |
長野電鉄で始めての途中下車。
蔵の街、須坂です。
須坂市は江戸時代、須坂藩の陣屋町で、武士を相手に商売を営む商工業者が集まり発展した町。
明治時代から昭和初期にかけては近代製糸業(シルク)が盛んで、今なお残る豪壮な土蔵造りの建物や商屋などの町並から当時の繁栄振りを窺い知ることができます。
なかでも田中本家は、代々須坂藩の御用達を務め、その財力は須坂藩をも上回るとまで言われた北信濃屈指の豪商。館内にはこれが一般人の持ち物とは思えないほどの宝物だらけ。明治時代の雛飾りは圧巻です。
田中家の創業は江戸中期、享保18年(1733年)。
初代新八がこの地で穀物、菜種油、煙草、綿、酒造業などの商売を始めました。
現在の当主は12代で、同姓同名を探すプロジェクトでもおなじみの田中宏和さん。
須坂の駅周辺に見所が集中しているので、歩いて見て回るのが苦ではありません。
とはいうものの、歩けばそりゃお腹は空きます。
宗石亭で、お昼ご飯。
ロース上カツ重、サラダ、お味噌汁、珈琲が付いて1,050円!
長野のカツ重がソースだということを、不覚にも忘れていました。。。
私の目の前に置かれるその瞬間まで、とろーりタマゴと絡み合う、甘辛タレのしみ込んだカツ重を信じて疑いませんでした。だからソースで真っ黒なカツを見たとき、「やっちまった。。。」と自責の念。
私、ソースの付いた白いご飯というものが、梅干で染まった白いご飯と同じくらい嫌いでして。。。
とりあえず“カツ先食べる大作戦”で、ご飯は後回し。
蔵の街、須坂です。
須坂市は江戸時代、須坂藩の陣屋町で、武士を相手に商売を営む商工業者が集まり発展した町。
明治時代から昭和初期にかけては近代製糸業(シルク)が盛んで、今なお残る豪壮な土蔵造りの建物や商屋などの町並から当時の繁栄振りを窺い知ることができます。
なかでも田中本家は、代々須坂藩の御用達を務め、その財力は須坂藩をも上回るとまで言われた北信濃屈指の豪商。館内にはこれが一般人の持ち物とは思えないほどの宝物だらけ。明治時代の雛飾りは圧巻です。
田中家の創業は江戸中期、享保18年(1733年)。
初代新八がこの地で穀物、菜種油、煙草、綿、酒造業などの商売を始めました。
現在の当主は12代で、同姓同名を探すプロジェクトでもおなじみの田中宏和さん。
須坂の駅周辺に見所が集中しているので、歩いて見て回るのが苦ではありません。
とはいうものの、歩けばそりゃお腹は空きます。
宗石亭で、お昼ご飯。
ロース上カツ重、サラダ、お味噌汁、珈琲が付いて1,050円!
長野のカツ重がソースだということを、不覚にも忘れていました。。。
私の目の前に置かれるその瞬間まで、とろーりタマゴと絡み合う、甘辛タレのしみ込んだカツ重を信じて疑いませんでした。だからソースで真っ黒なカツを見たとき、「やっちまった。。。」と自責の念。
私、ソースの付いた白いご飯というものが、梅干で染まった白いご飯と同じくらい嫌いでして。。。
とりあえず“カツ先食べる大作戦”で、ご飯は後回し。
by natsu-daisuki
| 2010-03-27 00:00
| ▪️林芙美子、リアル放浪記