2009年 12月 31日
横浜山手西洋館めぐり |
安政5年(1859年)、今からちょうど150年前に横浜港が開港してから、丘の上の山手地区が外国人居留地とされました。今なお残る西洋館のある街並みには異国情緒が漂います。
山手資料館は、もともとは明治42年(1909年)に私邸として建築された建物で、横浜最古の木造西洋館です。
大正15年(1926年)に建てられたエリスマン邸は、スイス人貿易商エリスマンの私邸として建てられたもので、設計したのは建築家であるフランク・ロイド・ライトに師事したチェコ生まれのアントニン・レーモンド。
アントニン・レーモンドは、大正8年(1919年)、旧帝国ホテルの建築の際にフランク・ロイド・ライトの助手として来日、後に東京女子大学本館、東京女子大学礼拝堂、旧東京ゴルフ倶楽部、札幌聖ミカエル教会、リーダーズダイジェスト東京支社など、日本全国に多くの作品を残したことから「日本現代建築の父」とも呼ばれています。
横浜山手聖公会の始まりは文久3年(1863年)。
関東大震災、横浜大空襲を経て現在の建物は4代目です。
アメリカ人建築家J.H.モーガンの設計により昭和6年(1931年)に建立された3代目の聖堂が、現在のノルマン様式の聖堂の原型となっています。
大正9年(1920年)の来日以降、J.H.モーガンは横浜を中心に多くの作品を残しました。
横浜山手外国人墓地正門、旧根岸競馬場一等馬見場、ベーリックホール、また東京都豊島区の立教大学4号館も彼の設計です。
昭和2年(1927年)に建築されたえの木ていでは、古い建物の中で優雅な気分でお茶を楽しめます。
室内の暖炉や150年前のアンティーク家具など、当時の応接間そのまま、ティールームとして使用されています。
えの木ていのケーキは、とびっきりおいしいです。
山手資料館は、もともとは明治42年(1909年)に私邸として建築された建物で、横浜最古の木造西洋館です。
大正15年(1926年)に建てられたエリスマン邸は、スイス人貿易商エリスマンの私邸として建てられたもので、設計したのは建築家であるフランク・ロイド・ライトに師事したチェコ生まれのアントニン・レーモンド。
アントニン・レーモンドは、大正8年(1919年)、旧帝国ホテルの建築の際にフランク・ロイド・ライトの助手として来日、後に東京女子大学本館、東京女子大学礼拝堂、旧東京ゴルフ倶楽部、札幌聖ミカエル教会、リーダーズダイジェスト東京支社など、日本全国に多くの作品を残したことから「日本現代建築の父」とも呼ばれています。
横浜山手聖公会の始まりは文久3年(1863年)。
関東大震災、横浜大空襲を経て現在の建物は4代目です。
アメリカ人建築家J.H.モーガンの設計により昭和6年(1931年)に建立された3代目の聖堂が、現在のノルマン様式の聖堂の原型となっています。
大正9年(1920年)の来日以降、J.H.モーガンは横浜を中心に多くの作品を残しました。
横浜山手外国人墓地正門、旧根岸競馬場一等馬見場、ベーリックホール、また東京都豊島区の立教大学4号館も彼の設計です。
昭和2年(1927年)に建築されたえの木ていでは、古い建物の中で優雅な気分でお茶を楽しめます。
室内の暖炉や150年前のアンティーク家具など、当時の応接間そのまま、ティールームとして使用されています。
えの木ていのケーキは、とびっきりおいしいです。
by natsu-daisuki
| 2009-12-31 00:12
| ▪️神奈川