2015年 02月 17日
◆母娘フランス放浪記◆ヴェルサイユ宮殿 |
フランス旅行ではずせないのがヴェルサイユ宮殿です。といっても私はこれまでのフランス旅行において一度もそこを訪れたことがなく、率直に言って全く興味がありませんでした。そんな私がこの旅行で一番印象に残ったスポットといえば、紛れもなくヴェルサイユ宮殿。こんなに良いところだったんだー、と言ってしまうのはあまりにも簡単ですが、後から何かわからないけど特別なところに行ってきた感がやたらと湧いてくるといった感じです。
パリの南西約20kmに位置するヴェルサイユ宮殿。東京から菊名くらいでしょうか。電車なら約30分から40分で到着します。最寄駅から正門まで約15分ほど歩くことになりますが、通り沿いには小さな教会や商店が立ち並び、パリとは少し違った生活感のあるヴェルサイユの街の雰囲気を味わえます。
ヴェルサイユ宮殿へはパリからのバスツアーが多くありますが、そのほとんどが手前の宮殿を見学するのみの半日ツアーです。宮殿だけのためにヴェルサイユ宮殿を訪れる必要ははっきり言ってないかと思います。ヴェルサイユ宮殿は宮殿と広大な庭園そして離宮を見て初めて、その全体像がかすかに浮かび上がるのです。
敷地面積は約1,000ヘクタールで、調べてみるとこれは東京都中央区とほぼ同じです。その広大さは、宮殿から十字形の運河(グランカナル)を見渡して遠近感がつかめなくなるほどです。
私たちの場合、9時の開館と同時に入場し、もうちょっと見たいという気持ちを残したまま、閉館の17時半ぎりぎりまで時間がかかりました。本当のことをいうと、午後一には帰れると思ってたんですが、ナメてました。
フランス王ルイ13世の別邸宅を、息子のルイ14世が宮殿に改装したのがヴェルサイユ宮殿です。歴代のフランス王はパリのルーヴル宮殿を王宮としていましたが、ルイ14世は自身の王宮にヴェルサイユ宮殿を選んだことにより、宮廷および政府はパリからヴェルサイユに移されました。以降、ヴェルサイユ宮殿が政治の中心地となりました。
絶対君主制のもと、王宮中心の絢爛豪華な生活は1682年から約100年間続きます。そんな放蕩政治に対して不満を募らせた一般市民との対立が1789年のフランス革命です。裁判によりこのときギロチンにかけられたのがルイ16世、そして王妃のマリー・アントワネットです。ルイ16世が38歳、マリー・アントワネットが37歳のことでした。
短い生涯にもかかわらず、後世に遺るマリー・アントワネット強烈なインパクトは、彼女そのものが放つ魅力の仕業。資料によるとマリー・アントワネットの身長は154センチで、ウエストは58センチ、バストが109センチと小柄のナイスバディ。また彼女の寝室や愛用品はどれもこれもキュートで女子力の高さがうかがえます。
14歳でオーストリアから嫁いできたマリー・アントワネットはフランス王宮のしきたりになじめず孤立していたといいます。そんな彼女の心を癒したのが離宮です。離宮は宮殿とは別に大小ふたつあり、ルイ14世のプライベートな別邸として建てられた大離宮(グラン・トリアノン)は、フランス革命後はナポレオン一世が居住しています。
王妃となったマリー・アントワネットに贈られた小離宮(プチ・トリアノン)は他のどの建造物と比べても小さく小ぢんまりとまとまっています。
近くにはどこか懐かしさを感じる王妃の農村(アモー)があり、ここが宮殿の一部であることを忘れてしまうほど完璧な農村風景に出会えます。当時、王妃自身も側近たちと一緒になって土いじりをしていたようです。この小離宮こそマリー・アントワネットの生き方そのもので、リアリティに満ちた人間らしさを感じることができます。
広大な園内の移動手段としては、ミニ列車(プチ・トラン)がおすすめです。宮殿から出発して運河のほとりを経由し、離宮までを巡回します。 ゴーカートのようなミニカーやセグウェイもあります。宮殿から離宮までは園内をゆっくり歩いて1時間ちょっとですが、わたしたちのように、いつの間にか歩き出していてもう後に引けなくなる前に、さっさとミニ列車に乗ってしまうことです。
離宮にたどり着いたときには餓死寸前。園内にレストランは数件(どこも遠い)あるけれど引き返すほどの気力はなし。どこからともなく漂う香ばしい匂いに救われました。
パリの南西約20kmに位置するヴェルサイユ宮殿。東京から菊名くらいでしょうか。電車なら約30分から40分で到着します。最寄駅から正門まで約15分ほど歩くことになりますが、通り沿いには小さな教会や商店が立ち並び、パリとは少し違った生活感のあるヴェルサイユの街の雰囲気を味わえます。
ヴェルサイユ宮殿へはパリからのバスツアーが多くありますが、そのほとんどが手前の宮殿を見学するのみの半日ツアーです。宮殿だけのためにヴェルサイユ宮殿を訪れる必要ははっきり言ってないかと思います。ヴェルサイユ宮殿は宮殿と広大な庭園そして離宮を見て初めて、その全体像がかすかに浮かび上がるのです。
敷地面積は約1,000ヘクタールで、調べてみるとこれは東京都中央区とほぼ同じです。その広大さは、宮殿から十字形の運河(グランカナル)を見渡して遠近感がつかめなくなるほどです。
私たちの場合、9時の開館と同時に入場し、もうちょっと見たいという気持ちを残したまま、閉館の17時半ぎりぎりまで時間がかかりました。本当のことをいうと、午後一には帰れると思ってたんですが、ナメてました。
フランス王ルイ13世の別邸宅を、息子のルイ14世が宮殿に改装したのがヴェルサイユ宮殿です。歴代のフランス王はパリのルーヴル宮殿を王宮としていましたが、ルイ14世は自身の王宮にヴェルサイユ宮殿を選んだことにより、宮廷および政府はパリからヴェルサイユに移されました。以降、ヴェルサイユ宮殿が政治の中心地となりました。
絶対君主制のもと、王宮中心の絢爛豪華な生活は1682年から約100年間続きます。そんな放蕩政治に対して不満を募らせた一般市民との対立が1789年のフランス革命です。裁判によりこのときギロチンにかけられたのがルイ16世、そして王妃のマリー・アントワネットです。ルイ16世が38歳、マリー・アントワネットが37歳のことでした。
短い生涯にもかかわらず、後世に遺るマリー・アントワネット強烈なインパクトは、彼女そのものが放つ魅力の仕業。資料によるとマリー・アントワネットの身長は154センチで、ウエストは58センチ、バストが109センチと小柄のナイスバディ。また彼女の寝室や愛用品はどれもこれもキュートで女子力の高さがうかがえます。
14歳でオーストリアから嫁いできたマリー・アントワネットはフランス王宮のしきたりになじめず孤立していたといいます。そんな彼女の心を癒したのが離宮です。離宮は宮殿とは別に大小ふたつあり、ルイ14世のプライベートな別邸として建てられた大離宮(グラン・トリアノン)は、フランス革命後はナポレオン一世が居住しています。
王妃となったマリー・アントワネットに贈られた小離宮(プチ・トリアノン)は他のどの建造物と比べても小さく小ぢんまりとまとまっています。
近くにはどこか懐かしさを感じる王妃の農村(アモー)があり、ここが宮殿の一部であることを忘れてしまうほど完璧な農村風景に出会えます。当時、王妃自身も側近たちと一緒になって土いじりをしていたようです。この小離宮こそマリー・アントワネットの生き方そのもので、リアリティに満ちた人間らしさを感じることができます。
広大な園内の移動手段としては、ミニ列車(プチ・トラン)がおすすめです。宮殿から出発して運河のほとりを経由し、離宮までを巡回します。 ゴーカートのようなミニカーやセグウェイもあります。宮殿から離宮までは園内をゆっくり歩いて1時間ちょっとですが、わたしたちのように、いつの間にか歩き出していてもう後に引けなくなる前に、さっさとミニ列車に乗ってしまうことです。
離宮にたどり着いたときには餓死寸前。園内にレストランは数件(どこも遠い)あるけれど引き返すほどの気力はなし。どこからともなく漂う香ばしい匂いに救われました。
#
by natsu-daisuki
| 2015-02-17 00:00
| ▪️フランス