2007年 07月 16日
千里飯店 / 藤沢 |
ある大人は、物知り顔で
「入り組んだ路地裏にこそ名店は存在するのだ。」なんて気取って言うかもしれない。
それらは“隠れ家”とかいう大人の呼び方で呼ばれるようになり、煤けた店もなぜか都会的で洗練された感じに見える。そういう隠れ家をよく知っていることがイケテる大人であり、都会的な大人の匂いを醸し出す。
私は知らない土地で食事をするとき、たとえばそれが中華とするなら、通りに面したきらびやかな中華料理店ではなく、人通りの少ない日陰の裏通りを入ったところにあるような(雑居ビル地下ならなお良し。)中華食堂を選ぶ。
決して都会的な洗練された大人を気取っているのではない。
私はただ、静かに中華を食べたいだけなのだ。
分相応ではない店だと緊張するし、食べたいものより値段に先に目が行きそうな自我を必至に堪えようとするところを悟られないようにと気をとられて思わず口走った酢豚が高かったりすると自責の念に駆られるし(しかも高級店なら酢豚に必ずパイナップルが入ってる。意味不明だ。)、ふたりで来たのに、セイロのなかには水晶餃子が3つ。私のことだから、「残り、食べてね。うふっ。」なんて言っちゃうだろう。だいたい、中華涼麺って。。。冷やし中華だろが!と言いたくなる。そういう一切合財が面倒くさい。
ここ千里飯店は、決してオシャレな雑誌には登場しないであろう食堂だ。
けれど奥まったところにひっそりと看板を掲げ、麺を茹でる湯気の漂う狭い戸口は、ある意味、隠れ家的要素を含んでいる。
こういう店なら、冷やし中華とひとこと言うだけで、完璧な冷やし中華がやってくる。
しかもクラゲが添えられて。
「入り組んだ路地裏にこそ名店は存在するのだ。」なんて気取って言うかもしれない。
それらは“隠れ家”とかいう大人の呼び方で呼ばれるようになり、煤けた店もなぜか都会的で洗練された感じに見える。そういう隠れ家をよく知っていることがイケテる大人であり、都会的な大人の匂いを醸し出す。
私は知らない土地で食事をするとき、たとえばそれが中華とするなら、通りに面したきらびやかな中華料理店ではなく、人通りの少ない日陰の裏通りを入ったところにあるような(雑居ビル地下ならなお良し。)中華食堂を選ぶ。
決して都会的な洗練された大人を気取っているのではない。
私はただ、静かに中華を食べたいだけなのだ。
分相応ではない店だと緊張するし、食べたいものより値段に先に目が行きそうな自我を必至に堪えようとするところを悟られないようにと気をとられて思わず口走った酢豚が高かったりすると自責の念に駆られるし(しかも高級店なら酢豚に必ずパイナップルが入ってる。意味不明だ。)、ふたりで来たのに、セイロのなかには水晶餃子が3つ。私のことだから、「残り、食べてね。うふっ。」なんて言っちゃうだろう。だいたい、中華涼麺って。。。冷やし中華だろが!と言いたくなる。そういう一切合財が面倒くさい。
ここ千里飯店は、決してオシャレな雑誌には登場しないであろう食堂だ。
けれど奥まったところにひっそりと看板を掲げ、麺を茹でる湯気の漂う狭い戸口は、ある意味、隠れ家的要素を含んでいる。
こういう店なら、冷やし中華とひとこと言うだけで、完璧な冷やし中華がやってくる。
しかもクラゲが添えられて。
by natsu-daisuki
| 2007-07-16 00:44
| ▪️神奈川