2009年 04月 15日
【リアル・放浪記、林芙美子になりきって】 樋口一葉の本郷 |
明治・大正時代の古地図(大判)を持って歩いていると、もう少しコンパクトな地図を持って歩いている初老の方々とすれ違うことがある。
思わず、
「それ、どこで売ってるんですか?」と訊いてみたくなったけれど、みんな自分の世界の中で自由な文学散歩を楽しんでいるようなので、私も近いうち大型書店で手頃な明治・大正時代の古地図(ポケット版)を探してみようと思う。
多くの文豪が暮らした本郷。
私は林芙美子の足跡をたどり、ここ本郷にやってきたわけですが、
本郷散策のなかでも一番人気は五千円紙幣で馴染み深い、樋口一葉ではないかと思います。
樋口一葉は、林芙美子が生まれる31年前、明治5年(1872年)に生まれ、林芙美子が生まれる7年前、明治29年(1896年)、24歳の若さでこの世を去りました。
明治9年(1876年)、樋口一葉が4歳のとき、一家は法真寺となりの敷地に建つ家に引っ越してきました。
後年、日記に“桜木の宿”として回想されるところで、9歳になるまでの5年間、ここで過ごしました。
『 かりに桜木のやどといはばや、忘れがたき昔しの家にはいと大いなるその木ありき 』
彼女の短い生涯は、借金苦など波乱に満ちた人生だったようです。
家庭は生涯に12回の引っ越しをしました。そんななか、法真寺“桜木の宿”で過ごした幼少時代は彼女にとって一番幸福に満ちた時代だったとされています。
23歳のときに発表した作品、『ゆく雲』の舞台となったのも、ここ法真寺です。
『 腰衣の観音さま、濡れ仏にておはします御肩のあたり、膝のあたり、はらはらと花散りこぼれて、
前に供へし樒の枝につもれるもをかしく 』
その後も引越しを繰り返し、明治23年(1890年)、18歳のとき、母滝子、妹邦子と菊坂町七十番地の借家転居。ここでは2年間過ごしました。
当時の井戸がそのまま残されています。
隣家、龍泉寺の転居を経て、終焉の地、本郷丸山福山町四番地へやってきたのが明治27年(1894年)、2年後の明治29年(1896年)、小説家になることを決意した19歳からわずか5年、結核と診断された樋口一葉は、24年の短かすぎる生涯を閉じました。
__________________________________________
樋口 一葉(ヒグチ イチヨウ)
明治5年(1872年) - 明治29年(1896年) 享年24歳
東京府庁構内(現在の東京都千代田区)出身
本郷小学校、私立吉川学校を経て私立青海学校に転校、高等科第四級を首席で卒業
中島歌子に歌、古典を学び、半井桃水に小説を学ぶ。
「一葉」は雅号で、戸籍名は奈津。なつ、夏子とも呼ばれる。「樋口一葉」として知られるが、歌人としては夏子、小説家としては無姓志向の一葉、新聞小説の戯号は浅香のぬま子、春日野しか子として筆名を使い分けている。
<代表作>
うもれ木
たけくらべ
ゆく雲
にごりえ
『たけくらべ』に見られる井原西鶴風の雅俗折衷の文体は自然主義文学の影響からか。自然主義文学といえば徳田秋声。徳田秋声といえば林芙美子。なんか繋がってる気がする。
思わず、
「それ、どこで売ってるんですか?」と訊いてみたくなったけれど、みんな自分の世界の中で自由な文学散歩を楽しんでいるようなので、私も近いうち大型書店で手頃な明治・大正時代の古地図(ポケット版)を探してみようと思う。
多くの文豪が暮らした本郷。
私は林芙美子の足跡をたどり、ここ本郷にやってきたわけですが、
本郷散策のなかでも一番人気は五千円紙幣で馴染み深い、樋口一葉ではないかと思います。
樋口一葉は、林芙美子が生まれる31年前、明治5年(1872年)に生まれ、林芙美子が生まれる7年前、明治29年(1896年)、24歳の若さでこの世を去りました。
明治9年(1876年)、樋口一葉が4歳のとき、一家は法真寺となりの敷地に建つ家に引っ越してきました。
後年、日記に“桜木の宿”として回想されるところで、9歳になるまでの5年間、ここで過ごしました。
『 かりに桜木のやどといはばや、忘れがたき昔しの家にはいと大いなるその木ありき 』
彼女の短い生涯は、借金苦など波乱に満ちた人生だったようです。
家庭は生涯に12回の引っ越しをしました。そんななか、法真寺“桜木の宿”で過ごした幼少時代は彼女にとって一番幸福に満ちた時代だったとされています。
23歳のときに発表した作品、『ゆく雲』の舞台となったのも、ここ法真寺です。
『 腰衣の観音さま、濡れ仏にておはします御肩のあたり、膝のあたり、はらはらと花散りこぼれて、
前に供へし樒の枝につもれるもをかしく 』
その後も引越しを繰り返し、明治23年(1890年)、18歳のとき、母滝子、妹邦子と菊坂町七十番地の借家転居。ここでは2年間過ごしました。
当時の井戸がそのまま残されています。
隣家、龍泉寺の転居を経て、終焉の地、本郷丸山福山町四番地へやってきたのが明治27年(1894年)、2年後の明治29年(1896年)、小説家になることを決意した19歳からわずか5年、結核と診断された樋口一葉は、24年の短かすぎる生涯を閉じました。
__________________________________________
樋口 一葉(ヒグチ イチヨウ)
明治5年(1872年) - 明治29年(1896年) 享年24歳
東京府庁構内(現在の東京都千代田区)出身
本郷小学校、私立吉川学校を経て私立青海学校に転校、高等科第四級を首席で卒業
中島歌子に歌、古典を学び、半井桃水に小説を学ぶ。
「一葉」は雅号で、戸籍名は奈津。なつ、夏子とも呼ばれる。「樋口一葉」として知られるが、歌人としては夏子、小説家としては無姓志向の一葉、新聞小説の戯号は浅香のぬま子、春日野しか子として筆名を使い分けている。
<代表作>
うもれ木
たけくらべ
ゆく雲
にごりえ
『たけくらべ』に見られる井原西鶴風の雅俗折衷の文体は自然主義文学の影響からか。自然主義文学といえば徳田秋声。徳田秋声といえば林芙美子。なんか繋がってる気がする。
by natsu-daisuki
| 2009-04-15 01:47
| ▪️林芙美子、リアル放浪記